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2023(令和5)年度
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≫6/8/23(木)はじめまして352です。
今日の散歩中いく手に白鳥が道を塞ぎ近づくとぱっと飛んでいった。そこ後一つの疑念が晴れたのを感じた。東大寺の四月堂の本尊の千手観音はあらゆる種類の救いを受け取るために千手が中心から伸ばされている。アイドルロボットが千のメッセージを発している。目さえしっかり見えていれば死の直前まで絵を描き続け手いたであろう。今となっては沈黙を守って就活に明け暮れてもいいが、このままでは少し未練が残る気がする。というのも三月堂(法華堂)の秘仏である写真家土門拳撮影でおなじみの執金剛神像という表の千手観音に対して裏の千手観音の化身の像がある。最初の中学でであった美術の先生の一段と熱の入った授業の中で語っていたのがこの像である。学校でいう教務主任で学校の心臓部の仕事を受け持っていた。あらゆる学校運営上の例え“怒髪を突く”様な怒りであってもそれを押し殺し、表には殆ど出さずいつもにこやかであった。執金剛神とはギリシャ神話のヘラクレスがガンダーラで変異したと考えられる。私もそういう怒りに満ちたことは度々あった。何度あいさつしても無視とかすぐ権力志向の発言とか、勤務評定で1の裁定。「それをいじめというんじゃ!」といいたいところだったが今から考えると最初説明した先生に比べまでまだ人間ができていなかったと反省している。

≫6/7/23(水)はじめまして351です。 椅子一つで脊椎官狭窄を防御できた、その椅子も刷新し新しい椅子が届き、目覚めの時間で一番生きがいを演出してくれる場が確保できた喜びの日となった。本が読めない今はユーチューブが貴重な情報ツールとなっている。ゆったりと座れることで精神的ゆとりが生れ、創作の原動力を作り上げている。ここで書くメッセージはいずれ自作のAIアイドルロボットから1000のメッセージとして後世の人に読み伝えていく内容にするためにクオリティ(質)の高さを保っていきたいと思う。一人の人生など宇宙の時間の流れにとって例えゴミであっても、ちりも積もれば山となるの言葉通りきっと何かのプラスになると信じる。我が戦後の団塊の世代がもう10年、20年で地上からいなくなると思う。カラオケクラブの私のコロナ禍で故副部長が言い残した言葉、「私の親友のもと女教師がマイホームもなく転々とその日暮らしの生活を送っている。一体この国って何だろう」と。戦後一億総中流といわれていたものが人生の最後に訪れた過酷な格差社会。何が間違っていたのかここに来てはっきりさせておきたい。

≫6/6/23(火)はじめまして350です。
今を生きてるこどもの心に突き刺さる教育とはヘルバルト学派よりペスタロッチ学派である。大学での私の指導教官は東芸卒の先生で教育学的での言語学でのソシュール理論信奉者すなわちレビーストロースの「野生の思考」で大陸合理主義を逸脱し実存主義のサルトルを凌駕する哲学を信奉し日本の“島小教育”の推進者でもあった。ところが面白いことに義務教育では自分の選択した教科からこどもを解釈してしまいそれがいつの間にか教え込むというヘルバルト的教育に陥ってしまう。教育委員会制度によってさらに促進させてしまうことになる。しかし現場の人権教育の実践から江戸時代の職種選択(武士、農民、商人)が比較的流動的であるとしたり、こどもの言語活動の作られ方に留意しよりこどもの認識の高め方を工夫しているらしい。集団意識の育成も学級会、生徒会と小選挙区制、国政へとつなげる工夫が随所に見られる。教科書検定でも労働組合の代表も参加しより洗練されたものを追求していく工夫がなされている。

≫6/5/23(月)はじめまして348です。
人生60年と昔はいっていたが今では100年といわれ始めている。しかし我が身はコロナ禍で風前の灯火。それ以前は寿命があるなど夢にも実感したことしたことがなかった。メデイアや己が身に降りかかる症状で死に直面することでのストレスがさらに死への拍車となる。患者と医者のデイベート教育で到底克服できない。その患者の立場になって考えるというが、その立場には絶対なり得ない。自分もなってみて初めてわかる。それが現実である。だから戦時下で実際戦っている兵士により添え、とか気持ちを理解するなど到底できない。好んで戦っているのでなく、使命感から発した民主的組織の上下の中で実行しているだけだ。そこで亡くなったとしても一人一人100×3の300歳の認知世界の中で行動できたと思う。なぜなら3世代の生身の声を聞いているからだ。今生きていることはそれほど大きな意味がある。死んだ人間の脳とどれほど向き合っても真実と向き合えない。今生きている人が言った言葉を直接聞いた人が生きながらえたとしたら、もしその当事者を殺めてしまったら、人間的こころがあるのなら自責の念に打ちひしがれるはずだ。しかし憎悪や差別意識が強い場合は希に大量虐殺が行われる事も度々あった。その最後が原爆である。三度許すまじ原爆を!広島の人々は投下を正当化する論理の主張を決して許さない。今まさに生きている現実が過去の原爆投下へと突き進んでいるなと感じた時点で己のできるところから発言行動していこう。中国が核の増強を企てている。昔の軍艦の増強競争の日本が歩んだ同じようなことをしている。それは今こそ米ロの核縮を少しでも示すことで今の700個を1とし核保有国が一斉に減らす条約を締結し始めれば、国際的信用という無限大の価値が転がり込むはずです。

≫6/4/23(日)はじめまして347です。
TVのNHK、日曜美術館で年輪をレコード盤にして針の代わりにICカメラでその年輪から曲を作り出したり、音の間に沈黙を入れるなど自然から音作りを試みるという晩年の坂本龍一さんのドキュメントを見て、大学時代の教育実習である交響楽を流し、それを抽象的表現で作品に表す研究授業をある中学校での実施したことを思い出した。
担当の先生は自分の個展の方が忙しくて指導どころでなかったらしい。それがかえって自分には最もよかった。現役の身でも自分の選んだ世界の社会との接点を求めているその背中に感動を覚える。今振り返ると自分の選んだ世界の変化に対応する仕事に向かうことは、それが常に評価を求められることで社会へのメリットが大きいと思うが、最近クレムリン付近に数発のAIドローン爆撃があったり、AIチャットGPTが原作以上の絵を描くことを容認される時代が訪れようとしていると簡単に受け入れてしまわないように、今一度点検する必要がある。東大紛争のまっただ中で大学の卒展で小学校の教育実習の狭い運動場で休憩時間毎に自分も参加した高学年によるサッカーすることの危険度が高い状況に比べ、殆ど使われていない大学の運動場の矛盾を100号キャンバスに運動場だけを描いた。もう一枚が50号ぐらいに当時学内での全共闘の女闘士があまりにかわいかったので、土方と家庭教師など稼いだバイト料をすべてモデル代にして描いた。その二つの作品は前者を“外観”、後者を“内観”すなわち日の丸のそれぞれ“白地”と“赤”である。評価対象する作品は人物の方がいいと知らされたが風景の方でいいといった。それも卒業後連絡を連絡を受け、処分されたらしい。

≫6/3/23(土)はじめまして346です。
今日は昨日と打って変わって、数日の雨もやみ空気中のチリやゴミも吸い取られすがすがしい朝だ。妻も昨年はコロナで中止だった孫の運動会が実施されるということで朝から外出。この数日このブログをどう千日続けるか考えていく内に朝を迎える日々が続いている。しかし夢の中で常々気になるメジャーな人が乗り合いバスの一番前の席に乗りこちらを振り向き、いきなり「何かあったらいつでも連絡してね。」といってくれた高揚感に満ちた経験をした。殆どブログに次に何を書こうかと悶々とした時間出会ったが、その夢はわずか1時間足らずの事であったが、すべて含めて8時間の理想睡眠は確保できた。私の父があのとき相撲で投げられて怪我をしなければ、戦地へ行って勇ましく散っていて私という存在もなかったかも知れない。我が家はいつも危険な道を選んでしまう特徴があるのかも知れない。これまでの人生をたどっていくとまるで映画“砂の器”の様な壮大なドラマになりそうだ。

≫6/2/23(金)はじめまして345です。
今日は朝から雨。老後の夢もコロナで目をおろか脳も心臓も破れた。それ以外のダメッジは大概気合いやリハビリで治せたが、あれから気合いをかけようとすると、もろにその部位に急激な負担がかかり以前はしばらくは立ち上がれないばかりか息苦しく死にそうになる。規則正しい生活をすればわずかづつ改善するような気もする。昨日の話の続きだが宮本武蔵の二天を米中の資本と労働の止揚(アウフヘーベン)でなく、美術理論の前述したコンフィギュレイションアートからの解釈の上下の概念で瞬間的に上下が逆転あるいは同時に同じ位置に存在することだってできる表現である。ソ連が社会主義リアリズムへ舵を切る以前のマーレビッチの抽象主義、絶対主義に端を発する時代にすでに考えられていたと思う。私が退職後、大学院でMBA(経営学)より芸術情報学を選んだのもそのあたりにある。

≫6/1/23(木)はじめまして344です。
北朝鮮の宇宙通信衛星搭載ロケットの発射の失敗が自ら報じられた。依然世界への覇権の争奪戦が続いている。日本は終戦を機に発想を180度転換した。今から30年前の中学美術では個々の歴史的作品に触れる時間があった。“枯木鳴鵙図”は日本の庶民に最も愛される宮本武蔵、晩年号して宮本二天、静寂の中一本の垂直の頂付近に止まり、自分の重さで少し傾き、次の行動に一瞬止まっているかに見える。二天が行き着いた悟りの世界にあこがれ自分も画業三昧の老後を夢見ていた。この二天は今でいう覇権強国の米中(共産主義、実用主義)とは考えない。天地ではなく上下という概念に人間(この場合は鵙)という考えを実行することである。戦艦大和はプライド、戦艦武蔵は庶民の味方という意識がスカイツリーの高さも武蔵(ムサシ)からとって、634(ムサシ)として世界への発信の拠点としたらしい。私にしたら武力を持つことは、核も武器も同じ殺傷兵器に変わりないと思うが、武力を誇示する国々が多くなればそれに従わざるを得ない。昔の大和と武蔵の復活として巨大イージス艦2隻が27、28年に就航するという。

 

≫5/31/23(水)はじめまして343です。
私は退職後の人生を50歳頃より考え始め、老後これまで運動クラブの傾注しすぎた時間を本来夢見た絵を描くことを死ぬまで続けたいと思っていたが、その前にもう一つやるべき課題を見つけ出した。それが一つは価値の流動制すなわちそのころMBA取得がブームであったことも手伝っていたと思う。しかし美という価値がどのように育まれていくのかというメカニズムを知りたいという気持ちとそれが一般の社会に未来の社会でどのようにうけいれられていくのかという問題解決にとりくんで置かねばという気持ちを満足させるにはどうしても全く異なる大学に学ばねばという答えに導かれていった。そうした大学の二つの大学院でたどり着いたのがテレポートナビ(移送通信)漫画のいわゆるどこでもドアである。それを作り上げていくとそこから何となく実相に生きてる私たちにパラレルワールドが見えてくる。それがひいてはクリエイテイブな精神を刺激し癒やしともなる。あの一瞬にして地上から核によって消された人と慰霊にもなる様な気がする。

≫5/30/23(火)はじめまして342です。
今回の広島サミットは原爆投下による銀行前の影の人間に思いをはせ、そこから人類が誤った道をあゆみはじめた事に気づいたと思う。それでも自分と関係がないと思い込んできた人も、さすがコロナ禍でそれとは異なる形で身近に迫ってきても尚、追い打ちをかけるようにロシアウクライナ紛争と歴史を覆す事象が現れた。明らかに“核抑止”という恐怖による悪性ストレスから社会全体に様々な事件や不幸を作り出してきた。だからこの“核抑止”ということばの消滅を様々な法的処置で特に国連の核保有を認められた国が中心になって、いわゆパリ条約での地球温暖化防止策のガス規制を決めたときと同じようにや従来からの目標の上限を数年ごとに見直して目標に近づけていく最初の目標をスタートアップさせることが喫緊の課題である。

≫5/29/23(月)はじめまして341です。

孫のJ君は自分の分身のように感じるのはやはり血縁による共感覚で同じ教育環境、同郷意識にもつながり愛国心ともなる。しかし現代では地球の隅々までどこに至っても身近に感じられる世界では自分の立ち位置をどこにでもおけるせかいになりつつある場合、空間的違いは乗り換えられても、過去現在未来という時間の違いを乗り越えられない。しかしあの広島の原爆投下による銀行前の影の人間は何が起こったのさえわからず地上から消し去られその人だけの問題でなく、人類が同じく経験したはずだ。J君の目の前の未来、私が今経験した現在、父の経験した過去、人生100年とすると300年は私の実相として感じられる。父も小6の相撲で腕の骨折で兵役をのがれたことの無念の人生、そのおかげで自分が生れすべてが欠乏の中、より異常な強さへの憧れのため幾度かの瀕死状態(いまでも続く)、そして孫のJ君も不思議にこちらか何も言ったことがないが、同じ一番あぶない道を選ぼうとしている。それを止めることはできない。7、5、3とは上手い言葉で表している。人生の大きな枠組みがこうして作られていくのだと。だから人為的に一瞬にして世を変える核やコロナが現れてこないよう、今とるべき事をクリエート(創造)しよう。だからあまりに残酷で大きい罪への憎悪(恐れではない)であるからこそ、そこから沸き起こる無間地獄から解放するため、人を決して憎まずの境地にたどり着くのだと思う。

 

 

 

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